「何を撮っているのですか」クレイマー氏の問いへのアンサー記事

クレイマー氏、こんな記事を書いている。

https://ameblo.jp/key-aki/entry-12315753326.html

煙に巻こうとせず書いてあったので割りと正直な意見かと思い、返答したいと思う。まずは記事をいくつかに分けて、それぞれ別々に返答していきたい。

 

撮影会はカメラマンさんが撮影の練習をしに来るところ。

記事開幕直後から反論するのも少し気が滅入るのだが、この断言は違う。そういう側面もあるが、それのみではないだろう。

撮影会でなくてもいいんだけども、ポートレートを撮っている男性はいったい何を撮ろうとしているのか?

何故花や星や鉄道ではダメで女性ポートレートなのか。

私だって、綺麗な花を見れば、あー綺麗だなー。星を見ればあー美しいなあー、紅葉を見れば美しいなーなんて思う。それはまあ普通のことなんじゃないかと思う。

女性ポートレートを撮りたいから女性ポートレートを撮るのだ。ほかは個人の感想。

 

でも花を撮りたいとは思わないし、星を撮りに行ったことがないわけじゃないが、暗くて寒くて怖くて撮影どころじゃない(笑)。紅葉にしても神宮外苑だったらいいけど、うちのマンションの吹き溜まりに集まってしまう枯葉の掃除をしなくちゃならないと思うだけで憂鬱になる。

これも個人の感想だ。

 

 

ポートレートは対人間の撮影なんだけど、モデル撮影ってのは、すべてが嘘っぱちの世界だとしか思えない。モデルがとる仕草にしろ笑顔にしろ、薄幸そうな表情にしろ、思わせぶりな表情にしろ、すべては意図的に写真に撮られることを前提に演技されたものであり、そこには何の真実も真理もない。
強いて言えば、嘘っぱちであるという真実があるといえなくもない。
スタジオにしてからが嘘っぱちの部屋でしかない。

そもそもが真実であらねばならないといった考え方はどうなのか。器の小さい考え方ではないか。

女性を撮影する機会に恵まれない人に対してのサービスが撮影会である。家族や恋人関係でもないわけであるがそこは当然であり何か問題のあることなのであろうか。独占欲の強い御仁である。

 

だとすると、何らかの真理であるとか、思想であるとかを撮ろうとしているわけではないということになる。

真理、思想を撮ることは一つの方法であるが、すべてがそうではない。考え方の押し付け、余計なお世話でしかない。

ひょっとするとだけど、花を美しいと思って撮る人と同じように、女性を美しいと思って撮りたいとなることは同じなんだろうか?花を撮りたい人と女性を撮りたい人という違いはどこから来るのだろう?

女性と花はそもそもまったく違う、花に対しての発情はない。発情を理性と知性で芸術寄りにもっていく作業が人間の高等であるところではないだろうか。

私に関していえば、綺麗な子とお話できたらいいなとか、一緒に飯でも食えたらいいな、で、ついでに写真でも撮れたら尚いいなーとは思ってる。

この意見については、賛同者も少なくないだろう。私としても反論はない。

 

なんで写真を撮るのかと言えば、そうした楽しい時間を過ごした記念とでもいえばいいだろうか。
家にある家族アルバムに入ってる写真と大して変わらない意味だ。
写真が一番ではなくて、あくまで女性が一番だ。だから気に入らないモデルは気に入らないし、性格の悪いモデルだったりすると悲しくなる。
一緒に散歩したとて、それは自分の彼女とする散歩ではない嘘っぱちの散歩だ。食事したってそれはデートではなくて嘘っぱちのデートもどきのようなものだ。

家族との記念撮影も嘘の要素は一切ないのか。写真は真実でなければならないといった主張をもっていることは理解した。が、それは個人の感想だ。結局は彼が気をよくするか否か、それだけのような気がしてならない。

 

その嘘っぱちだらけであることを承知で、あくまで楽しい時間を過ごすというものだというのが一番納得できそうではある。

嘘を嘘でなくしたいのであれば、それは迷惑客でしかない。

 

 

逆に考えることもある。

モデルはいったい何を撮られようとしているのか?

あなたが考えるほど彼女たちはウブではない。給料で本意ではない相手に撮影される・時間拘束されることを納得しているのが撮影会モデルだ。

 

ましてや、無銭モデルだった場合、いったい何が目的なのだろう?世間に対して何を発信したいというのだろう?
大真面目(だとはたから見ていると見える)にポートレートに取り組もうとしている連中はいったい何を撮りたいと思い、何を撮られたいと思っているのか?私にはさっぱりすっきり分からない(笑)。

自分がわからないことは納得できないといった心境は理解できるが、それを下に見るということはいかがなものか。

発信するしないの選択肢も個々人の自由ではあるから、苦言を呈したい気持ちはとても理解できる(このBlogもそんなものだからだ)。

 

芸人と同じように他人を楽しませたいという気持ちなんだろうか。ってことは何だ、カメラマンとモデルってのは漫才コンビみたいなものなのか?

芸人はもっと野心をもっている生き物だ。

 

曼珠沙華の中でドレスを着て、それで写真を撮ったとして、それがいったい何だというのだろう。
その写真にどういった意味があって、人様に見せることになるのだろう。
私には何も伝わってこない。

撮影そのものの体験、行程で得られる愉しさを理解してはどうか。その結果写真をSNSに出すのは現在の社会の流れだということ自体は否定せぬだろうし。不甲斐ない写真を見てアマチュアカメラマンに己の写真愛をぶつけたくなる気持ちはわからなくもないが、写真に対しては写真をもってぶつかるほか方法はないのだ。私も同様にそれを行えていないのが弱いところだが。

何かを伝えようと思っていないから伝わらないんじゃないだろうか。

伝えることへの執着は理解できた。

 

 

ここまで来てようやく最後の問い。

彼が本当に知りたいことだ。

 

ポートレート撮影をしているすべての人たちに聞いてみたい。

何を撮っているのですか?

私の場合としての回答で申し訳ないが、自分の好きな女性像である。記号的な側面もある。好きなポーズ、好きな性的衝動を得られるシーンなど。

それを集めるのだ。

フュギュアを集める感覚に似ているかもしれない。

自己でポーズや撮影場所を選び、そして好きな容姿やスタイルをもった女性を活用して撮影する。

その写真をコレクションする。

 

これが目的だ。

 

その後のフォトコンやSNSといったものはただの自慢話に似たもので、発信といった大それたものはエロ本でも編集しない限り可能性として理解はできない。

 

以上、クレイマー氏の人気Blogへの返答を書いてみた。

どこかで伝われば嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青春 カメコ

中年男性を応援しつつ、自身も懸命に写真を重ねるもその拙さに枕をぬらす毎日を送る。健康に楽しく撮影できていることが何よりの宝。